分からなければ「電鉄倶楽部」を見よ!あなたの知りたい事がここにあります。

もうどうにも止まらない。すべてのジャンルをすばらしい写真で飾る!

事実とはなにかをストイックに掘り下げる。

重装備を背に 俯瞰を極めるモノトーンの職人

アーティスティックな視線で捉えた世界が展開する!

知られざる情景を撮り続ける人達の記録

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2010年11月30日 (火)

『中国けむり紀行』⑤

機関車はゆく。

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農作業をしていた母さんも、

汽笛が聞こえると手を休め、

通り過ぎる機関車を見送る。

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狭軌の機関車ではなかなか思うように走らないのか、

蒸気を思い切り噴出しながら登って行く。

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それにしてもこんな風景が21世紀に残っているとは。

まるで夢を見ている様だ。

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機関士も、腕一本でこの壊れかけたカマを操る。

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作業員も貨車にしがみつきながら走ってゆく。

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日本では過ぎ去ってしまった風景が、

そこにはあった。

2010年11月23日 (火)

『中国けむり紀行』④

駅に着いたらすぐ整備だ。

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このC2と呼ばれる形式も

以前は中国各地を走っていたとの事だが

今はめっきり減っていて見つけるのも難しい。

壊れたら最後、なんてならない様に祈りながら

作業を見つめる。

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あたりは熱気に包まれていて、

上半身裸で整備にあたる。

機関車からはもうもうと蒸気が上がり、

とても機械とは思えない雰囲気を醸し出している。

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キャブの中はさらに地獄のような熱気だ。

水をがぶ飲みしても

普通の人には中にいる事もできないだろう。

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整備が終わると

パシュ、パシュと音を出しながら出発して行った。

2010年11月20日 (土)

『中国けむり紀行』③

始発駅の石渓駅を出た列車は暗闇の中を進む。

なぜか途中の駅で機関車が切り離されて、

側線を行ったり来たりした。

ライトの閃光だけが闇の中を走って行く。

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日が昇ってきた。

夏の四川省山間部特有の猛烈な湿度の影響だろうか、

モヤがかかって淀んだ空気の中を機関車が進む。

まだ朝の6時台なのに熱風が窓から入ってくる。

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1時間弱で降車駅の芭構の駅に着いた。

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2010年11月 5日 (金)

『中国けむり紀行』②

「いやあ巻かれて巻かれて涙が出っ放しだよ」

と始発駅のけむりを堪能する。

ここは中国四川省の狭軌軌道である「芭石鉄路」の

始発駅の朝の風景だ。

まだ夜も明けない時間から、

C2と呼ばれる762mmの蒸気機関車が、

テンダーを前にして静かに出発を待っていた。

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「シュンシュン」と吐き出される蒸気の音と、

焦げた石炭の臭いが充満する朝の駅の光景は、

なぜか静寂な空間に思えた。

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もうもうと立ち込める蒸気の中で、

機関車は静かに出発の時を待っていたのであった。

2010年11月 4日 (木)

『中国けむり紀行』①

けむりに巻かれて涙を流せる場所が「まだあるらしい」

とは以前から気付いていたが、

なにせ中国の奥地ではちょっとやそっとじゃ行けないと

今日まで来てしまった。

けれども日本だと一向に巻かれないので涙も出ない。

「じゃあ巻かれにいきますか」と荷物をまとめて

「えいや」と叫んで飛行機に飛び乗ってしまった。

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目に沁みるようなけむりの世界を

何回かご紹介したいと思います。

2010年11月 3日 (水)

水道局の外壁

郊外にある水道局の外壁に、

古い写真が飾ってあった。

そこの場所にはとても思えない写真だったので、

よく見てみると、どうやらその写真は

今もナベトロの置いてある西谷浄水場の

はるか昔の写真だった。

http://kidoushimatsuki.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_0ea7.html

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ほう、西谷には今も建物が残っていたのか。

よく見ていなかったが、また今度訪れてみよう。

さて、その外壁を右に進むと、更に写真が続く。

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当時の工事風景だな。

機械なんてなかった時代なんで、すべて手作業だ。

物づくりの原点だ。

根気と忍耐のいる作業だったに違いない。

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横浜鉄道停車場と言っても今の横浜駅ではないな。

関内駅と名を変える前の旧横浜駅であろう。

うーん、優雅な時代だったなあ。

なんでも合理的にしてしまう現代とは違い、

当時の人々の心意気が感じられる。

もし戦争がなかったら、

重厚な都市文化を作っていたに違いない。

返す返すも残念である。

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吉田橋かあ。

この橋の下の川は、

今は首都高速道路となってしまった。

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三井用水取水所とは今で言うと

いったいどこの場所になるのだろう。

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出ました。当時の軌道の写真が。

実は今もこの軌道の一部が残っているんですよ。

http://kidoushimatsuki.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/index.html

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さらに歴史を遡れば、水は担いで売っていたのでした。

今のミネラルウオーターを買う感覚かな。

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