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2010年2月21日 (日)

太宰と津軽森林鉄道

金木町に津軽森林鉄道の酒井が保存されている

事は以前から知っていたが、

気軽に行くには津軽半島はあまりにも遠すぎた。

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このままだとずっと行かずに月日が過ぎ、

「一生行かないのではないか」と思い始め、

意を決して車を北に走らせた。

酒井が保存されている場所は五所川原市金木町だが、

近くまで来ると、想像していなかった大渋滞に

巻き込まれた。渋滞の原因はあの「斜陽館」だった。

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そう、言わずと知れた太宰治(本名津島修治)

生家である。

そのまま渋滞に導かれて「斜陽館」に着いてしまった。

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しかしこんな辺鄙な土地なのになんという大邸宅だ。

信じられないくらい大きい。それもそのはず、

津島家は青森県でも有数の名士の家だった。

ここで生まれ、自ら命を絶ってしまった

太宰の生い立ちを俄然知りたくなった。

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太宰の生まれは1909年である。

ちょうど生誕100年だ。

津軽森林鉄道の最初の区間である蟹田-薄市間が

開通したのは1908年、全線開通は1910年だ。

ほぼ同じ時期だ。勿論金木町も重要な拠点だった。

おそらく太宰治は津軽森林鉄道を見ながら

育っていたのであろう

2010214

現在の金木駅には森林鉄道の痕跡はまったくない。

太宰が幼い頃に生家の近くでいつも見ていた

森林鉄道についての記述を、彼は残していない。

芥川龍之介が小田原から熱海へ行く人車軌道を

小説に書いているが、

太宰の書いた林鉄の印象を読んで見たかったと思う。

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斜陽館を出て酒井の置かれている場所へ行ってみる。

ブルーに塗られた酒井は、木曽等の緑色を

見慣れている自分にとっては新鮮に映った。

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太宰の小説「斜陽」は神奈川県小田原市の「雄山荘」に

住んでいた時に書かれている。一緒に住んでいた

太田静子の日記を元に書かれたのは有名な話だ。

津軽から帰ってきてしばらく経った後、

「雄山荘」にも行ってみた。

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朽ち果てた和洋折衷の邸宅は、

没落華族を描いた場所にふさわしい雰囲気だった。

ところが、そのすぐ後に放火によって

雄山荘は焼けてしまった。

心無い人間の仕業によって太宰の暮らした痕跡は

記憶の彼方に行ってしまった。

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同じ頃、あの津軽の酒井も放火にあったらしい。

連結していた客車が焼け落ちてしまったと聞く。

なんだか嫌なつながりの話だが

幸い客車だけだったとの事で、

記憶の彼方に行かずに済んでいるらしい。

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