1979年6月10日
もう3年ぐらい前になるだろうか。
S氏と葛生のナロー保存機めぐりに
出かけた時の事だ。
旧本社事務所前に転がっていた
駒形石灰工業のKATOを撮影した後、
「1080も見に行くか」とS氏が声を掛けて来た。
言葉に促されながら車を走らせる事数十分、
草で覆われた坂の上に
トタン張りの小屋が見えて来た。
よく見ると坂は線路跡であった。
トタンの隙間から恐る恐る中を覗くと、
石灰で真っ白に覆われた1080が静かに眠っていた。
ネガの隅に書き留められたメモを読むと、
1979年6月10日 日鉄鉱業羽鶴と
走り書きがある。
カメラはASAHI PENTAX SP、フィルムはトライX。
現像は自分でやったのかフジドール20度C10分、
フジフィックス定着とも書いてある。
現像オーバーで粒子が粗く失敗と記入もあり、
おまけにカメラの裏蓋をあけてしまった事など
こまごま書かれていた。
そう、ここには30年前来ていたのだった。
なぜここに来たのかよく覚えていない。
まだ10代半ばの年齢だ。
当時知り合いだったT氏から
誘われた記憶が残っている。
まだ住友セメント栃木工場に
日立のナローが動いていて
おそらくそれを見たかったんだと思う。
東武の列車に揺られて葛生に着いて見ると、
なんと恐ろしく古い蒸気機関車が
目の前で黒煙を吐きながら動いているではないか。
こんなものがまだ残っていたなんて・・・。
巨大なスポークの動輪を空転させ、
車体を左右に揺すって坂道を登る古典機は、
とても人間が作った機械とは思えなかった。
生きているのである。
この黒い塊は、間違いなく生き物に見えた。
目の前を黒い生き物が通り過ぎていく。
煤の臭いと、軋んだ金属音と、
蒸気の熱気を包んだ黒い塊が
ファインダーの中を通り過ぎて行く。
煙に遮られながらも、
夢中でシャッターを切り続けた。
カメラは父のPENNTAX。
この古典機と同じく、当時でも古いカメラだったが、
これを撮るのにふさわしい組み合わせだった。
絞込み測光の機械式のカメラで、
手に伝わる金属のボディの冷さがが心地よく、
タクマーレンズのトルク感あるヘリコイドが
今も忘れられない。
それが最後の走行であったのを後で知った。
もう二度と戻らない時間と諦めていたのだが、
梅小路で復活するという話を耳にした。
復活したらまた撮りに行こうと思う。
もう父のPENNTAXはないが。
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コメント
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お久しぶりです。
どうしちゃったのかと思っていました(笑)
79年といえば、私は旧国を追いかけていた頃、こんな渋い被写体にカメラを向けることなど思いもよりませんでした。
素晴らしいです。
投稿: 遅かった | 2010年1月12日 (火) 00時35分
ごぶさたしています。
勤めている会社がM&Aに巻き込まれて、ブログはちょっとお休みしていました。
この1080の撮影後は、本来の目的だった日立のナローは撮らずに帰りました。その後まもなく廃線になり、今振り返れば、返す返すも残念でなりません。
投稿: ミュージシャン(管理人) | 2010年1月13日 (水) 00時08分