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府中市立交通遊園には様々な人たちが訪れる。
園内にはボランティアの手で整備された都電も置かれていた。
訪れる人たちの反応も様々である。
子供連れのお母さん。「子供が楽しく遊べる公園ね」
健全な鉄道ファン。 「ほう、きれいに整備されているなあ、都電は」
鉄道マニア。 「ED101に錆びが出ていないだろうか」
軌道バカ。 「KATOは転がってないか!」
園内には昔の消防自動車も展示してあり、たしかに小さな子供には大人気だ。
国鉄最小の電気機関車も保存してあり、マニアの注目度も高い。
だが、ここらは国鉄下河原貨物駅があった場所であり、それに接続して砂利採取軌道も出ていた所で、そこで使われていたKATOの廃車残骸が1970年代まで転がっていた事を知る人は少ない。
BVDと言うと最近はかっこいいアンダーウエアーでCMにも登場しているが、その「フジボウアパレル」ではない、はるか昔の「富士紡績」時代の事に触れてみたい。
上の写真は駿河小山駅の富士紡績の工場だが、よく見ると線路らしきものが見える。実は当時ここに2フィートの専用線があり、KATOが荷物を積んで駿河小山駅と工場との間をちょろちょろ行き来していたのだ。
廃止が昭和42年頃とずいぶん昔の話なので、現役を見れた世代ではないけれど、今も所々に線路跡が見てとれるのがうれしい。
工場自体は今は稼動しているのか分からないが、なにかこれだけ線路が残っていると、敷地内にKATOも残っているのではないかと想像してしまうが、いかがだろうか。
当時、御殿場線のD-52を追いかけていた人たちの中に、ここのKATOの消息を知っていた方もいただろうが、振り返るには長い時間が経ちすぎてしまった。
一応カメラをかばんに忍ばせながら、今日も仕事に出かけたが、時間に追われて取り出さぬまま一日が終わってしまった。結構重いんだよね、一日中持って歩くのは。筋力強化には多少貢献があったかもしれないが。
で、なにもネタがないので、前回の続きで2年前の5月16日は何を撮っていたのだろうか捜してみた。2年連続で同じ日に果たして写真を撮っていたのだろうか。
ありましたね。2005年5月16日の日付の画像です。
どうやら京都伏見の軌道跡ですね。
このあたりは江戸時代から淀川の船着場だったところで、薩摩藩士の内部抗争や坂本竜馬の定宿で有名な「寺田屋」にも近いところだ。
その淀川から分岐する水路を使って、近年まで木材等を運ぶ事が行われていて、そこから陸へ揚げた木材を運搬していた軌道だそうだ。
こんな物ばかりを2年連続で同じ日撮っているなんて、自分の事だが少々あきれてしまった。
10年手帳というのがある。要は1ページの中に同じ日が10年分記入できるので、人目で同一日の10年間の行動が分かるという仕組みである。
「去年の今日は・・・やっていたのかあ」とか「8年前の今日はかぜで寝ていたなあ」なんて調子で、きちんと10年記入すれば結構楽しめるのではと思う。
物心つく頃から日記を書くのが3日以上続いたことのない自分にとって、10年手帳を楽しむなど夢のまた夢なのだが、「ちょっとまてよ、写真なら何年も撮っているではないか」と思い、昨年の今日の写真を引っ張り出してみた。
おー、これは茂原長南間軌道の人車ではないか。去年の5月16日はこんなものを撮りに行っていたんだ。
これはこれで非常に貴重なのは間違いなないが、毎年このようなものを追い続けている自分っていったい何なんだ、と考えると今日も眠れない夜になりそうである。
これはいったいなんなのだろうと、予め調べて行ったわけではなかったので、最初に見たときは驚いた。近代的なモノレールの駅の横に古びたトンネルが見えたときは、「ずいぶん古そうなトンネルだなあ」と、対比が面白かったので近づいてみたところ、トンネルはトンネルだが、なにか変な構造物だった。
横からみたらこんな形だった。しかもよく見るとトンネルのアーチの上に「鉄道連隊」のマークが残っているではないか。
どうやら鉄道連隊がなにかの目的で造ったものが現代まで残っているのだった。そうするとここに鉄道連隊があったという事だ。
終戦からすでに60年以上経っている今、これを見た現代の若者がどういう気持ちを抱くか興味深い。
GWはどこへいっても渋滞の嵐なので、今年も電車にのってのんびり近場の公園へ出かける事にした。
東海道線二宮駅から急な山道を20分ほど登ると、山頂にある緑の芝生とすばらしい展望が望める「吾妻山公園」にたどり着く。地元の有志で丁寧に整備された芝生に寝転んで、太陽の下そよ風に吹かれながらぼーとするのは至福の時である。ああ今年も来て良かったなあ。
帰りには湘南軌道の二ノ宮駅跡を見て帰ることを毎年の恒例にしている。
今年は、昨年までなかった記念碑が建てられていて、地元の人の、この軌道に対する思いが今でも伝えられているのに驚いた。
前身の馬車軌道開業から101年、湘南軌道の廃止から70年、当時を知る人などほとんどいなくなってしまったであろう現在も、旧二宮駅の建物は、まったく同じ位置にひっそりと残っている。
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