分からなければ「電鉄倶楽部」を見よ!あなたの知りたい事がここにあります。

もうどうにも止まらない。すべてのジャンルをすばらしい写真で飾る!

事実とはなにかをストイックに掘り下げる。

重装備を背に 俯瞰を極めるモノトーンの職人

アーティスティックな視線で捉えた世界が展開する!

知られざる情景を撮り続ける人達の記録

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2007年3月30日 (金)

消えた栃木県北通運の日立

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「もうすぐここからなくなるよ」。昨年12月に現地を訪れた際、撮影に付き添ってくれた関係者の方が、寂しげに話してくれた。それがこのアウトサイドロッドを有する日立製15tを見た最後の日だった。今週火曜日の3月27日、矢板駅を停車する電車の窓から眺めたら、そこには一緒に繋がっていた小型スイッチャーともども、跡形もなく消え去っていたのであった。

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尼崎のナロー

一日に何度か出てきます。

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2007年3月29日 (木)

川崎製鉄の面影

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千葉市美浜区あたりは、マンションが立ち並ぶ、いわゆる新興住宅地であるが、その一角に、川崎製鉄で活躍した産業用のSLが、静かに置かれているのに気がついた。

小さな子供をつれた若いお母さんが、SLの回りで井戸端会議に精を出し、傍らの子供たちは、そのSLに群がって無邪気に遊んでいるのが微笑ましかった。

そんな昼の光景も、夜になると人っ子一人いない静かな街になり、シャッターを切っている音が、闇に中に響くのみになってしまう。ちょっと怖いね。

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2007年3月24日 (土)

KATO残照

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2007年3月23日 (金)

鉄道連隊が大井川の兄弟のもとへ

プレスアイゼンバーンの鉄道連隊のコッペルが、大井川鉄道へ移動したそうだ。既に2月に搬送は終わり、新金谷に保存してある七尾のコッペルと共に展示の予定との事。落書き等で哀れな姿だったが、外観もきれいになるとの事で、安心しました。けれども、放置好きにとっては、ぼろぼろの外観も捨てがたかったといったら、ばちが当たるだろうか。

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ここの横あたりに来るのかなあ。

下は、以前の所。

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2007年3月20日 (火)

江ノ電もなか

近くへお寄りの際は、ぜひお買い求めください。江ノ島駅より徒歩3分。

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2007年3月19日 (月)

ビルの中の京都市電

  京都 地下鉄の五条駅を降り、地上へ出て、四条方向へ歩いていたら、ビルの一階のガラス張りのロビーに、市電らしきものが置いてあるのを発見した。中には説明版があり、なにか古そうな雰囲気だったが、急いでいたので、何枚かシャッターを切って、そのまま立ち去った。(あっさりと)。

後日「全国保存鉄道Ⅱ・白川淳氏著」で調べてみると、梅鉢鉄工所製、復元車、となっていたが、製造年月日が1911年頃となっており、復元したのがその年なのか、その年に作られたものを近年復元したのか、さっぱりわからなかったのである。今もって気になっているが、調べようと思いつつ、まあ明日にしようと今日も過ぎて行くのである。

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2007年3月18日 (日)

地上をゆく地下鉄の亡霊?

最近仕事に追われて続けている。時計を見ると、もう終電も行ってしまい、しかたなく会社の車を借りて、午前を回った真夜中帰路についた。「つかれたなあ」と信号待ちをしながら、つい目をつぶってしまい、青に変わっても気がつかなかった。そのときである。サイドガラスの横を轟音と共に列車が通り過ぎていった。黒澤監督の映画「夢」の中に「きつねの嫁入り」を見てしまった少年の話が出てくるが、「あぶない、あぶない。寝てしまった。そうだよなあ、ここは国道だぞ」と起き上がったが、夢ではない。本当に列車が横を通り過ぎて行くのである。

偶然かばんに入っていたコンパクトデジカメを取り出し、ノーファインダーでシャッターを押した。眠気などうそのように飛んでしまった、真夜中の出来事だった。

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横浜にも古いナベトロがあった!

「今を遡ること100年以上前の明治20年、日本最初の浄水場が横浜の野毛山に作られ、同時に横浜は近代水道の発祥の地になった」と本には書いてあったが、それを調べに赴いた訳ではない。

相模鉄道の上星川駅から、急な坂道を15分ほど喘いで登ると、噴水のある、綺麗な公園が見えてくる。だが中を歩くと、なにやら鉄の塊で出来た巨大なオブジェが、あちらこちらに転がっていて異様だ。「ただのオブジェじゃないなあ」と予想した通り、これらは古い水道管であった。ここは横浜の水道の歴史を紹介した「横浜水道記念館」なのである。

ここの展示室には、水道関係の展示物に混じって、なんとナベトロが展示してあるのだ。荒川のドコービルも古いが、このナベトロも、隣接している西谷浄水場で大正時代に使われた、相当古いものらしい。なぜ残っているのか、あまり深く考えるのはよそう。これを見れる「横浜水道記念館」に感謝した。

しかしこれ「どこのメーカーなのかなあ」と、見回す「ふり」だけはしたが(だれも周りにはいないが一応見栄で)、どこを見ればいいのかさえ分からない。その道のエキスパートの方が見れば、きっとわかってしまうんでしょうねえ。

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2007年3月11日 (日)

荒川のナベトロを見にゆく

趣味界の指導者であり、かつレイルマガジン編集長であられる名取紀之氏の「編集長敬白」で紹介された、ドコービルの100年前のナベトロに、「こんなものが21世紀にあったのか」と驚いてしまった。趣味界の端っこにぶら下がっている無名な私は、「まったく知らなかった、完敗である」と、素直にご指導にあずかり、時間をつくって見に行ってみた。なにせ、「信濃川大河津資料館から借用して展示しているもの」だというではないですか。はやく行かないと長野に帰ってしまう、と焦っていたのである。

ライトに照らされてた茶褐色のナベトロを前に「これがドコービル・・・」と周囲の目なぞまったく気にせず、舐め回す様に見続けた。「ドコービル・・・」「あのサントリー工場のある山崎の近くに、ひっそりといた、すすだらけの真っ黒い蒸気機関車の・・・」と、自分の知ることの出来なかった遠い昔の風景を、この小さな鉄の土木運搬車から想像するのであった。

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追伸。「なべとろの品番でなく軸箱の品番である」との「etopirika氏」の指摘にも完敗しました。

2007年3月 8日 (木)

プレスアイゼンバーンの鉄道連隊

プレスアイゼンバーンといえば、鉄道模型誌「とれいん」で知られている。これの創刊の頃に、毎号連載をしていた「2尺6寸」の記事は、実物の軽便鉄道など知らない自分にとって、「こんな鉄道が実際にあったのか」と、その異様な車両たちに衝撃を受けたものであった。考えてみると、一冊買うのも、大変だと思うくらいの歳だったが、毎号せっせと買っていたものである。そのうち、模型はやらない自分にとって、「とれいん」よりも、プレスアイゼンバーンが発行する写真集に興味が移り、次第に高価なそちらを買う方向に移って行った。

そのプレスアイゼンバーンの建物の前に、西武から来たコッペルが置いてあった。それは,紛れもない鉄道連隊の生き残りのコッペルである1_200738

2007年3月 5日 (月)

ラジオから聞こえた「鉄道連隊」

先週の水曜日。その日は船橋に仕事にがあり、早めに出たはずが、大井料金所周辺で、恒例の首都高湾岸線の渋滞に巻き込まれてしまった。時計を見るとすでに約束の時間も迫り、あせりが募る。「うーん・・・」。めいる気分を紛らわす為、ラジオのスイッチを押したところ、ちょうどニッポン放送の女性アナウンサーの声が耳に入った。「今日は津田沼のなんとか公園に来ています。」「ここには昔使われていた鉄道連隊の・・・・」。

「ちょっとまった。」とNHKのひげじいの様に(余談、わかる人はわかる・・)いきなりラジオに向かって叫んでしまった。「あれは、アスベスト対策で、シートにぐるぐる巻きにされていたではないか。いつのまに!」と、もう仕事などどうでもいいけんね、と渋滞で遅れてしまった事もなんのその。さっさと終わらせて、津田沼へ向かった。

ビルに囲まれた公園の一角に、真っ白にペイントされた五つの動輪が眩かった。

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こちらは、以前の姿。

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