分からなければ「電鉄倶楽部」を見よ!あなたの知りたい事がここにあります。

もうどうにも止まらない。すべてのジャンルをすばらしい写真で飾る!

事実とはなにかをストイックに掘り下げる。

重装備を背に 俯瞰を極めるモノトーンの職人

アーティスティックな視線で捉えた世界が展開する!

知られざる情景を撮り続ける人達の記録

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2007年1月31日 (水)

プリムスのブランドと社名その後

プリムスのブランドと社名のその後について、この道に造詣の深いetopirika氏よりお便りを頂きました。それによると、この会社は1884年頃創 業し、1910年頃から「Plymouth」ブランドで小型機関車を製造し始め、1919年頃に「フェート・ルート・ハース社」の社名を名乗り始めたとの事です。その後1950年代後半、社名そのものをPlymouth とし、1999年に売却されるまで、数多くの機関車を製造していたとの事です。なんだ、つい最近まで造っていたんですね。KATOや酒井なんかよりも、よっぽど今の話ではないですか。etopirikaさん、情報ありがとうございました3_2007131

2007年1月30日 (火)

のどかな森林軌道の昼下がり

学校がえりの子供が、軌道に沿った道を歩いていきます。今も見ることが出来る、生きている芦生森林軌道の一コマです。2007130

朽ち果てていくホイットコム

訪れたときは既に会社がなくなっていた。「ゆくゆくは、機関車を本社前に運んで保存したい」という話に期待して訪問したのだが、事務所を訪れると、がらんとした建物があるだけで、人の気配はしない。もしやあの高田機工のラジエターを付けたホイットコムも、消えてなくなっているのではと不安がよぎり、重い足取りで歩き始めた。場所がはっきりせず、たどり着くまでずいぶん長い時間を歩いたが、草むらの影から、朽ち果てていくホイットコムの姿をようやく見つけることが出来た。いったいどれほどの長い年月、ここに置かれていたのだろうか。自分の知らない遠い昔の妙寺の情景は、 どのようなものだったのだろうか。2007130_2

2007年1月24日 (水)

KATOよ、なぜここ菰野に 2.

このマークはどこの会社のものなんでしょうか?Kato_2_2007124

KATOから置き換わったプリムス

前々から思っていたのだが、八戸のプリムスは国産のKATOとほとんどデザインがいっしょである。もちろんプリムスもKATOも造られた年代によってデザインが異なるが、ここ松館 小学校に置いてあるプリムスをKATOと間違えてしまう人は多い。これは単に似ているという理由以外に話があり、平成14年までまったく同じ位置にKATOが置いてあったのだ。気がつかない方も多いのではと思われる位、そっくり入れ替わってしまっている。ちなみにそのKATOはと言うと、学校の方の話では、傷みが激しく処分したとの事。捨てたとしたら「もったいないなあ」と思うが、個人所有等になって生き残っていてくれと願わんばかりである。2_2007124_2

2007年1月20日 (土)

裸電球に照らされた酒井

昔はどこの山村でも見られた情景でしょう。ひのきの香りが漂う庫内に差し込む夕日がまぶしい。2007120_2

2007年1月19日 (金)

KATOよ、なぜここ菰野に。

Kato_1_2007119 いつもお世話になっているこの道の大御所S氏に、まだあるんですかと伺ったところ、詳細な状況を教えて頂いた。この閉鎖的な世界ににあって、本当に頭が下がる思いだ。僕も、この怪しげな風景に興味を持ってくれる人たちに見てもらえればと思い、ブログをスタートしたのだが、まったく更新が遅い・・・。やっと三日目だ。なんとか坊主という言葉が脳裏をよぎる・・・。それにしてもいい風景だなあ、このKATOは。

2007年1月18日 (木)

ニッサンと石川島播磨

IHI石川島播磨重工といえば、日本が誇る最先端技術集団のイメージが色濃くて、2000年にニッサンの宇宙航空事業部を統合したりして、衛星ビジネスにも積極的に参入なんぞしてしまう会社なのである。僕ら庶民には、そちらよりもエンジンに付いているターボチャージャーなんかでお世話になってますね。1980年代後半のF1を席巻したホンダ黄金期のエンジンのターボは、実はIHI製だったのである。全部ホンダで作ってなかったのね。明治時代にこの蒸気機関車を作った、当時の石川島の技術者達が生きていれば、現代はどの様に映るのだろうか・・・。2007118

プリムスの皮を被ったニッサン2

全体は・・・こうです。2_2007118

2007年1月10日 (水)

プリムスの皮を被ったニッサン

舶来品かと思ったらMADE IN CHINA ・・・なんて事は当たり前の世の中であるが、世界の工場を自負する中国を見ていると、過ぎ去りし戦後の日本の生き写しの感がある。ただし今の中国のスケールのデカさは尋常ではないが。

1_2007110

山梨のプリムスもちょっとのぞくとなにやら「ニッサン」のカタカナの刻印に気づく。無論日本製プリムスのOEMのわけがないが、すさまじい外観といい、ニッサンのエンジンといい、ここまで来るとオリジナルなど意に介さない独創性に、思わず拍手を送りたくなってしまう。

北のプリムス

プリムスと言うのはブランド名である、と知ったのは結構最近のことだ。では会社名はと言うと「フェート・ルート・ハース社」だそうだ。ちょっと長くて覚えにくいなあ。ヤマハが日本楽器でペンタックスが旭光学と言っていた様に、ブランド名と社名が違う例は最近でもよくあったが、やはり社名よりもブランド名に消費者は親しみを感じるのか、これらの会社はブランド名に統一してしまった。はたしてプリムスはどうだったのだろうか。いまでも加藤や酒井の様に会社が現存しているなら、プリムスというブランド名が残っているのか聞いてみたい・・・。

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などとまったく どうでもいい様なことを考えながら八戸まで来てしまった。置き忘れたかのように、田園の中に鎮座しているプリムスに、「やあ」と声を掛けたくなる。

2007年1月 8日 (月)

ナトリウム灯に浮かび上がるプリムス

200718

諏訪に着いたのはとっくの前に日が沈んだ後だった。なにせ前日は会社の忘年会だったので、寝不足の体とそれに追い討ちをかける様な朝の雨が「今日はやめだなあ」と言っている。それでも行ける時に行っておかないと後で後悔するぞ、といういつもの脅迫観念のみが、のろのろと車を向かわせた。

暖冬でもここは寒い。真っ暗な中を捜していると、オレンジ色のナトリウム灯にボーと照らされたプリムスが、あたりの闇から浮かび上がっていた。どのような経緯でここにあるのか説明版を読んでもよく分からないが、そんなことなどどうでもいいかの様に、オレンジ色の車体は冷たくてきれいだった。

まずは・・・

マイペースで行きたいと思います。1_200718_2

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